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NHKスペシャル 新・映像の世紀を観ました。 [日常]

本日も、 " NHKスペシャル 新・映像の世紀 " を観ました。
前回までの番組でも戦慄致しましたが、今回もまた、人類のして来た事、そしてしている事を映像で見て、身震い致しました。

内容は番組を見れば分かる事ですので細かくは触れませんが、例えば破壊され尽くした地獄の様なシリアの荒廃した都市の映像や、爆発物を積載した自動車による自爆テロの映像、兵士が市民を機銃掃射で殺害している映像等を見ても、やはり人類は最悪に恐ろしいものだと痛感致します。
それを知らぬ存ぜぬとして考えずに日々を過ごす事は、罪であると思います。
日々の生活の中で、平穏で大きな変化の無い日常もあれば、ある日突然に悲劇に見舞われる事もございます。
しかしながら、人間の邪悪による悲劇は、それぞれの人々の心掛け次第で防ぐ事が出来る筈だと思っております。

番組後半では、世界中の街中に氾濫する監視カメラ ネットワークの現状が報じられました。
全ての市民は撮影され、監視され、分析され、識別されております。
それは、凶悪テロ事件の捜査等、市民の安全を守る為に強力な道具となりますが、悪意ある者が用いたら非常に恐ろしい凶器ともなります。例えば軍事独裁政権下では、反抗的な市民を一人残らず炙り出す為に使われるでしょう。
ネットワーク システムをクラックして、特定の誰かもしくは不特定多数の人々をこっそりと盗み見て楽しんでいる者も居るかもしれません。悪いストーカーが使うかもしれません。
強力な道具はまた恐るべき凶器とも成り得るのです。

動画投稿ウェブサイト等により、全世界の市民がそれぞれの思い、主張、情報、技能、芸術等を手軽に世界に発信出来るようになった事で世界に与えた影響の一部も紹介されました。
そこには、善意の映像も悪意の映像も存在し、世界の人々に幸せをもたらしたものもあれば、憎悪を植え付けたものもあり、結果的に多くの人命が失われる事となった原因の一端もありました。

市民一人一人による映像の発信は、大きな可能性をもたらしますが、その量の多さは情報の洪水の様で、混沌としており、一時の流行で終わってしまうものや、ほとんど誰の目にも触れられる事無く埋もれてしまうものもありますし、誤った考えを流布してしまうものもあります。
市民がそれぞれ公開した映像を考察し、纏め、取捨選択をして、価値を高めて人々に提示するといった事をする人が必要であると思います。それはマス メディアでもよいですし、フリー ジャーナリストでもよく、一般市民でも構いません。

世界は増々複雑になり、混沌の度合いを増しております。
私は簡単で善良な世界を望みます。

NHK "精霊の守り人" が凄い。 [日常]

先程、NHK放送90年 大河ファンタジー " 精霊の守り人 " をTVで拝見致しました。
何だかもの凄い力作でした。

"NHK放送90年 大河ファンタジー 精霊の守り人" のウェブサイトのURL:
http://www.nhk.or.jp/moribito/

番組の画質は最高音響効果も申し分無く環境の美術も最高峰で、大作洋画級の出来栄えでした。

主演女優の 浅瀬はるか さんがスポーツ系女子だったとは存じておりましたが、あれ程の用心棒役をやってのけるとは驚きです。
表情、立ち居振る舞い、言葉遣い等、短槍使いの用心棒役としてこの上無いです。
そして殺陣のアクションが迫力満点。どれ程リテイクしたか存じませんが、まるでその道のアクション スターの様でした。
私は劇中の 綾瀬はるか さんに、心ときめいてしまいました。

雄大な自然の風景に、古代の何処とも知れぬ町並み、大道具、小道具、よくぞあの世界を作り上げたと賞賛したい出来です。

高島礼子 さん、よくあの呪術師役を引き受けました。偉いです。
彼女のこれからの役回りに興味が湧きます。

藤原達也 さん、帝役がピッタリと嵌っておりました。
完璧に帝です。

吉川晃司 さんはファンタジーです。
あの世界に実在している単層の達人そのものであるかの様に、世界観に馴染んでおりました。

子役達の演技も実に上手く、自然に出来ておりました。

" 精霊の守り人 " は物語の完結までには何年も掛かるそうですが、いつまでもワクワクしながら童心に返って胸を高鳴らせながら観られそうです。

劇場上映作品と同等以上の品位で作られるファンタジー作品なんて、滅多にあるものではございません。
ファンタジーを忘れかけていた大人世代の人達も、子供達と一緒に存分に楽しめるかと存じます。
本当にNHKのドラマはどれも配役が巧いですね。

タワー クレーン。 [写真とカメラ]

私は鉄骨の構造物が好きです。特にトラス ビームには惚れ惚れ致します。

この写真は本日2016年3月17日の昼に埼玉県さいたま市のさいたま新都心駅にて、さいたまスーパーアリーナの大規模改修工事現場のタワー クレーンを撮影したものです。
Tower Crane_(2016_03_17)_1 タワー クレーンを斜め後ろ側から見上げる様に撮影した写真。
https://c2.staticflickr.com/2/1567/25730953512_8e4731f249_o.jpg
SONY DSC-RX100にて撮影。

Saitama Super Arena_4 さいたま新都心駅の "さいたまスーパーアリーナ" を撮影した写真
https://c2.staticflickr.com/8/7566/15676440774_3b797989b1_o.jpg
こちらは2013年2月26日に撮影した " さいたまスーパーアリーナ " の写真です。
同じくSONY DSC-RX100にて撮影。

コンピューターの性能が100倍になって欲しい。 [テクノロジー]

私は2016年3月現在、Intel Ivy Bridge マイクロ アーキテクチャー世代のCPUである、 " Core i7-3770T " と、DDR3 SDRAM PC3-12800 8GB x 4枚(32GB)を搭載したPCを使用しております。
このシステムは、私が使用していたそれ以前の世代のものと比べて桁違いに高性能で、快適になったと感じておりました。
しかしながら、それでも大量の大きな画像を処理したり、膨大な量のデータベースを処理したりする作業には全くと言って良い程性能が足りません。
畳み込みニューラル ネットワークによる大量の画像処理や、大量の画像中の特徴点抽出とブロック マッチングと幾何学変形と合成等の処理を32bit精度で行おうとすると、私のPCでは1か月間もの時間が掛かってしまいます。

メイン メモリーは32GBでは全然足りておらず、例えばワールド ワイド ウェブのインデックスを必要な分だけ快適に処理しようとすれば4TB位のRAMが必要です。
メイン メモリーの帯域幅も、たとえDDR4規格のメモリーを使用しても充分ではなく、更に10倍以上の転送速度が欲しいところです。

ストレージについてはHDDでは転送速度が全く足りず、SSDを10TB位は使いたいところです。

そしてCPUですが、現在のCore i7のハイエンド製品でも恐らく全く足りず、欲を言えば100倍以上の演算処理性能が欲しいと思います。

個人的なPCの利用の範囲でもその位の性能に対する要求がある訳でございます。



ところで、今後訪れるであろう社会では、ロボットや人工知能の開発による生産性の向上速度に対して世界の人々の製品やサーヴィスの需要が追いつかず、人間の労働力が必要とされない状況になると予想されております。
すると、多くの人々が充分な条件の仕事に就けなくなる訳ですから、今、議論が盛んになっているベーシック インカム制度を導入せざるを得なくなる時がやって来ます。

その時、人々がそれまで行っていた全ての仕事を代替可能な高度で知的な人工知能を搭載したロボットが絶対に必要になります。
しかし、そのレヴェルの人工知能を実現するには、現在のコンピューターと比較して1,000倍近い性能が求められます。

ところが現在、集積回路上に作られるトランジスター数が18か月毎に2倍になるという、嘗てのムーアの法則は持続困難な状況になりつつあり、それ以上に問題なのがトランジスター数の増加に比べて演算性能の向上度合いが低いという事です。
その為、嘗てと比較してCPUの処理性能向上は明確に鈍化しており、従って人間の仕事を代替可能な知性を持つロボットの登場は従来予想よりも遅くなる可能性もございます。

一方で、現実にはソフトウェア面の進化が従来予想よりも早く、例えば最も盤面状態数が多いボード ゲームである囲碁の勝負に於いて、コンピューターが世界最高峰のプロ棋士に勝利するのは10年位先の話とされていたところ、Google DeepMind社のAlphaGoという人工知能が既に4勝1敗で囲碁の世界の最高峰棋士であるイ セドルさんに勝利してしまいました。

この様に予想以上のソフトウェアの発展、或いはコンピューター ハードウェアの抜本的な技術革新が起こる事で人間の知性を上回る人工知能の登場時期が早まる可能性も存在しております。

カーボン ナノチューブ トランジスター、シリコン ナノワイヤー、グラフェン トランジスター、Silicene、Phosphorene、等の新規材料、新規構造、そして高速大容量な不揮発性メモリーが実用化されれば、コンピューターの性能が一気に何桁も向上致します。

何れにせよ、コンピューターの性能向上は止まらず、遠くない将来に於いて人間の知能を上回って行く事でしょう。

価値観。 [日常]

私は、今日まで30年間以上生きて来て、自分と価値観が近い人とは出会った事がございません。

私とは様々な面で全て真逆に近い様な価値観を持つ人とは幾人も出会っております。

親族でさえ、価値観に私との共通部分は僅かしかございません。
それ故、日々歯痒く感じる事ばかりです。

世の人々はどうなのでしょう。価値観が近しい人とは出会った事がございますでしょうか。

様々な事柄について価値観のほとんどが同じ人などまず居ないとは思いますし、十人十色、皆がそれぞれ違うからこそ面白いのだとは思うものの、それでも、ある程度多くの共通部分を持つ人、或いは深層的で根源的な部分の価値観が近い人と知り合えたら良いなと思います。


タグ:価値観

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